コンパイラは道具ではない

やねうらお氏の6月18日の日記(id:yaneurao:20040618)。

コンパイラをどうやって使おうとしか考えていない人に、コンパイラをどうやって作ろうだとか、どういうコンパイラを作れば自分の仕事が楽になるのか、ということについては想像が及ばない。だから―――何度でも言うぞ!コンパイラは断じて道具ではないのだ!それが自分の望む変換でないならば、いつでも自分で作る覚悟がなくてはならない。

どのような思いで、氏がこの文章を書くに至ったかはわからない。言っていることはもっともで、プロとしてならばこのような覚悟を持つべしというのもわかるが、みんながみんなこんな覚悟を持っていたら、エキスパート(コンパイラを作れる人)の商売あがったりなんじゃ?とか思ってしまった。
コンパイラを道具として思っている層があってもいいんじゃないかと思うんですよね。コアな技術としてのコンパイラと、それによって構築されるアプリケーションという感じで開発者が住み分けていれば。みんながコンパイラ作れるようになっちゃったら、コンパイラ開発者の特権がなくなっちゃうような・・・。
自分は授業でコンパイラを作った(見よう見まねですが)ことはありますが、実際に自作の言語を作ったことはないです。作る必要もインスピレーションも無かったというのが大きいですが。