優秀な研究室の1年後輩

送られてきた大学の会報を読んでいたら、研究室の1年下の後輩が「修士課程修了にあたって」という題で文章を書いていた。彼の日記は、かつてこのページのアンテナにも登録していた。卒業にあたって日記を消したみたいなので今はアンテナには登録されていないが。

この1年間、企業で研究に当たり、研究ということに対する考え方が大きく変わった今でも、彼がいかに優秀だったかということを実感しない時はない。彼は修士卒であるにも関わらず、国際会議で3度も発表している。終わってみればものすごい成果であるが、大学4年に入った時に彼に与えられたテーマは「本当にできるのか?これ?」という状態だった。そのテーマのブレイクスルーとして、その業界で提案された手法を取り入れたらうまく行ったということがあるが、その後の研究の進み方、後輩指導などは彼の実力のたまものとしかいいようがない。当然、彼を支える周りの人*2の尽力もあったわけだが、彼でなければ出来なかったことも数多くあるに違いない。

当初、彼は研究中に自分が取り組んでいるものは、完全に自分オリジナルの手法でないことに悩みを抱えていたようだった。しかし、重要なことはそのような悩みを理路整然と他人に伝えることの出来る能力が彼にはあったということだ。自分はこの点では決定的に劣っているといわざるを得ない。振り返ってみれば、自分は実装が出来て周りの人に話してもわからないというおごりがあったのかもしれない。

自分に限らず、このおごりに陥っている人は多いのではないだろうか。自分は他人より出来ると思っていても、それは所詮ある一面を切り出した時の話でしかない。もちろん、総合的に他人より優れている人もいるかも知れないが、そういうことはほとんどないだろう。人間は補完しあって生きていく生き物なのである。

最近では、自分のつまづきや悩みなどを、いかに理路整然と話すかという技術が重要ではないかと考えている。そうすることによって、自分だけでは見えてこなかった問題点や突破口が見えてくることもあるのだ。今まで、自分はそういうコミュニケーションはできなかったといわざるを得ないが、今後出来るだろうか。「初心に帰る」ではないが、今後はこのことを肝に命じていきたいと思う。何だかんだで、人生短し。