レゾンテートル

自分の存在意義、レゾンテートルとは何か。
今日は、元直接の上司のYさんが近々異動されそうということで、非公式に汐入で飲み会をやる。Yさんのお気に入りの焼き鳥屋であるが、まだ行くのは2回目だ。トマトを焼いたものにベーコンを巻いたものを串でさした「焼きトマト」がおいしい。
明日、フットサルに行く予定があるので、終バスで帰ろうとしたが、話が盛り上がってしまい、終バスの時間以降になってしまった。自分も今話しをしておかないと後悔するとでも思ったのかな。
正直、言い合いっぽい場面になることも何回かあったが、みんな自分のことを考えてくれているというのがひしひしと伝わってくる。いろんな視点から見て、自分が損をしないようにしてくれる方向性とは何かを一緒になって考えてくれているような気がした。ありがたい職場に来たものだ。
その後、横須賀中央の魚民で朝まで飲む。本当にオールしたのは社会人になってから初めて。入社2年目〜7年目までいたが、みんな似たようなことを考えているんだなぁと実感。
魚民は朝5時で閉店になったが、その後始発のバスまでKさんが話をしてくれた。都合、5時〜6時くらいまでずっと話していたが、どうどう巡りの議論をしていた。最終的にはバスが来たので議論はお開きとなったが、ここまでずっと付き合ってくれたKさんに感謝。
自分が思う道のどこかで、壁にぶつかってしまい。同じところをぐるぐる回っているのだろう。その壁の一つの要素に、今の業界で成果や名を上げていないというのがある。そういう思いを抱えながらやっていくのは、精神的につらいものであるが、時間が解決してくれるのだろうか。
その壁を乗り越えるためには自分というものをもっと出せ、ということを言われた。じゃあ、その壁を越えた後に得られたものとは何か?と聞いてみたら、それはわからないという。わからないが、会社の文化特有のものではなく一般的なスキルが得られたということは間違いないと言っていた。今、自分が必死になってやっていることは、この会社特有のものなんじゃないかという不安が常に付きまとっていたが、それについては心配しなくていいということなんだろうか。
本当に自分がしたいこととは何なのだろう。自分にしか出来ないことはなんなのだろう。自分の根本的なレゾンテートルとはなにか?という青臭い悩みに帰結してしまった感があるが、「もっと大きなはずの自分を探す終わりなき旅」ということだろうか。