研究と開発のハザマで、キャリアを叫ぶ

今日は横須賀に戻って、初勤務。だからというわけではないが、たまたま今日、「今年1年頑張りましょう飲み会」があった。
隣の部署の新人と楽しく話をしたり、先輩達と仕事のことについて議論した。1年前はこういう議論は出来なかったなと思うと、今年1年自分が成長したんだなぁとちょっぴり実感した。
そこで感慨深い言葉を2つ聞いた。

・「何を持って研究であるとするかについては、柔軟性を持ったほうがいい」

研究というのは、ある意味で価値創造といったプロセスが入ると思います。そこで、自分がやりたいと思ったことに対しても周りから叩かれたり、否定されたりすることも多くあるのでは、と思います。また、周りからの批判がなくとも、やっている本人自身がなんとなく自信を持てないということもあるでしょう。
でも、それを乗り越えて、発想や視点を変えて、何を研究とするかを柔軟に捉える姿勢というのが重要だという言葉です。今日、議論のために用いた分野は対話についての研究なのですが、対話というのはある問題をいくらでも広く捉えることが出来るし、逆にある特定の問題を解いたという研究であっても、すごい縮こまった印象を受けることがあります。特に、デモシステムを作って見せる研究などは、ある特定のことは出来るけれども、やっぱりその枠組みだけじゃ解けない問題は多いじゃん、と感じることもあるでしょう。それは、研究を見る他人ではなく、研究をやっている本人であってもそうです。
このように、最終的に解こうとしている問題が難しい分野では、何をやったら研究であるかということを定義するのが非常に難しくなります。実際に、自分で無理やり結論を出したとしても、本当にこれが研究なのか?という猜疑心は、その研究を見ている周りの人のみならず、研究をやっている本人であっても消えることはないでしょう。しかし、そのようなことを乗り越えて、研究の核となるものは視点などを変えて柔軟に捉える必要があるのではないだろうかという言葉です。
このへたくそな文章では、この言葉の魅力の100分の1も伝わらないかもしれませんが、感動した言葉なので載せてみました。

・「50歳になった時に何をやるかを想像してやることを決めたほうがいい」

今年度、出来るかどうかわからないが、今の職場で開発的な仕事をやりたい、みたいな事を話してみました。その時に、近くに座っていた事務担当(?)の人が上の言葉を言っていました。
その人のいわんとしていることは、今の研究所という場所でそういう仕事をやることは、研究者としてのキャリアを損なうことになるからよく考えたほうがいいよ、というアドバイスだったのでしょう。でも、自分は元々開発志向だったこともあり、もしうまく出来るならそういう開発的な仕事を提案し勤め上げ、その後開発方面ということで、ソフトハウスみたいな所に転職してもいいと思っている、といった主旨のことを言いました。その上であっても、「50になってどういう仕事をしているか想像できるならば、それもいいんじゃない」ということを言っていました。
確かに今の職場は、50になってのパスというのは見ているとパターンがあるし、自分がそれらの中でどれを選ぼうかを考えて、想像することは簡単です。逆に、ソフトハウスのような開発系の会社に転職した時に、50歳になって何をやっているかなんて、はっきりいって想像がつきません。
若いうちは後先考えずに突っ走ることも重要かも知れないけど、キャリアパスを考える上において会社人生の最後の10年のスタート地点である50歳を起点に考えるのは一つの基準としていいことかもしれませんね。「この先どうなるかなんて誰もわからない」とミスチルは歌っていますが・・・