靖国論/小林よしのり

ひょんなことから読みましたが、面白いと思います。
この本を読んで、自分の思想は改めて「ゴーマニズム宣言」に強く影響を受けたんだなぁ、ということを再認識しました。

新ゴーマニズム宣言SPECIAL靖國論

新ゴーマニズム宣言SPECIAL靖國論

この本を読んで靖国問題について語れるほど知見も深くないので、多くを語ることは避けます。しかもこのエントリは靖国問題関係ないです(笑)
このエントリの主眼であるが、「戦後と戦前でイデオロギーの断絶がある」という小林よしのり氏の主張はうなずけるものがある。というのも、団塊の世代の人と話をして「戦後の日本は生まれ変わった」というセリフが普通に出てきたからである。
やはり、というか団塊の世代は「戦前の日本人は悪くそれを反省すべきである、私達は戦前の日本人を糾弾し謝罪することをよしとしているから、私達の方が進んだ思想を持つ人間である」と思っているふしがある。というか、それが、団塊の世代の生きる拠り所になっているのではないか。
いつの時代も、先祖や昔の人間は間違っていたと考えることは、過った方向に人々を導くのではと思う。昔のコラム先祖を敬うということでも書いたが、色々と意見はあれ、昔の人を敬うということは重要なのではないか。なぜなら、世の中や国を作ってきたのは間違いなく先祖であるからである。それをないがしろにしてはいけない。
「最近の若者は声を上げなければいけないのに、学生運動もないし静か過ぎる」と言っている団塊の世代に言いたいことがある。あの学生運動で何か変わったのか?
私なりの少ない知識で言わせて貰えば「反体制は若者の特権」としゃれこみ、なんのビジョンも考えもなく共産主義革命を夢想してキャンパス内でワーワーやっていたが、いざ連合赤軍の総括やあさま山荘事件みたいな重大な事件が起こったら、ひよって学生運動をやめた人が大半じゃないか。
つまり、学生運動ごときじゃ世の中なにも変えられないことを証明したのである。そんな徒労ともいえるような学生運動を何故若者に対して推奨できる?私は疑問でならない。
学生運動時代は反体制だったのに、体制側になったとたん、過去のルールを守ることに固執したのはどうなの?」と疑問を投げかけたら「学生運動は若者の特権、企業に入ったら違う」と言う。なんなんだ、それは。そんな全く同じ徒労に終わる輪廻を若者にも繰り返せというのか。
冗談じゃない。
この輪廻を断ち切る術はただ一つ。過去の日本があって、今の日本があるということを認めることである。過去の戦争で何があったのか、事実を明らかにし、その時の人たちはどういう気持ちでそういう行動に走ったのかを考えることである。過ちであると認めることは重要だが、それに対して現代の人間がやることは過去の人間を糾弾することではなく、悲惨な体験だけを語り継ぐことでもなく、不幸な事件があったかなかったかを考えずに一方的に謝罪することでもない。ただ、全ての事実を明らかにし、そのためにこれからの私達がどうすればいいかを考えることである。
我々は先祖の霊を厳粛な気持ちで弔うべきである。