逆転裁判〜蘇る逆転〜 レビュー

先ほど終わりました。いやー、面白かった。

逆転裁判 蘇る逆転

逆転裁判 蘇る逆転

ファーストインプレッションではやや酷評でしたが、追加された第5話の面白さはそれを補ってあまりあるものでした。
タッチペンとマイクを活用したカガク捜査。Nintendo DSの新しいインターフェースによって新たな面白さを見せた作品の一つとして語られることでしょう。
あと特筆すべきは音楽。個人的には2より1の曲が良い。特に法廷で最後の追及をする時に鳴る音楽。「追求〜追いつめられて」という曲だそうです。
以下は第5話のネタばれ付きレビュー。かなり核心部分まで書いているのでやってない人は読まない方が良いかも。

第5話のテーマ

以前、第5話が投げかけるテーマは重いと書いたが、一つに「望ましくないことであれ真実は全てあきらかにされるべきであり、罪は償われるべきものである」というものがある。
この話では容疑者は容疑者にとって大切なある人物をかばっているがために、事件に対して口を開こうとしない。それは、2年前のある事件の真相(と容疑者が思っていたもの)である。
この真相は最初、ある人物が引き起こした突発的な行動による不幸な事故であると思われていた。それを隠すために容疑者が真犯人に操られているというのが、第5話の事件の構図と思われていた(途中までは)
しかし、結局は真犯人がその事故に見せかけて、容疑者を意のままに操るように仕組んだ、というところで話は終わっている。おそらく、その不幸な事故が本当に真相だと、やや救いの無い話になってしまうからだ。しかし、最初から真犯人が意図して捏造した事件、ということにしてしまうとやや無理があるような気がする。これだけ色々な人に支持されたゲームだから仕方ないかもしれないけれど、どうにもこの部分だけ納得がいかない。
真犯人は2年前のSL9号事件で、青影と罪門が格闘した現場を見て、その計画を思いついたとされるが、果たしてその計画を実行に移すためだけに人を一人殺すだろうか。不幸な事故だった、というなら納得も行くが、将来的に捜査の全権を握りたいがために人を殺すというのは、どうも腑に落ちない。

おそらく自分の考えとしては、最初は不幸な事故を容疑者が隠したがために、更なる悲劇が起こったという形にしたかったのだろうが、それだと救いがないので真犯人が凶悪な奴だった、というように変更したんじゃないだろうかと思う。

しかし、真犯人もただ凶悪だっただけではなく、自分の信念に基づいて行動した結果なのだ。犯罪者を憎む心、凶悪な犯罪者に対抗するためには何が必要か?それを真犯人が考え抜いた結果、捏造という結論に至ったのだ。

この話では真相も救いがある結果になっているが、もし真相が不幸な事故という形だったらどうだろうか。逆転裁判というゲームでそのような重い結末にユーザは耐えられるのかだろうか。

第5話で語られる「2年前の事件」

さて、第5話は今まで扱ってこなかった重要なテーマが含まれている。それは「人が人を裁くとはどういうことなのか?」ということである。(作者がどの程度意図しているかはわからないが)
第5話で語られる「2年前の事件」の犯人Aは、今回の事件の真犯人(と容疑者)が捏造した証拠によって逮捕され、そして死刑になる。ストーリー中では、Aは凶悪な連続殺人犯で本当に悪い奴だった、ということになっているが、捏造された証拠で死刑になったというのは大きな問題がある。なぜなら、Aが連続殺人犯であるという決定的な証拠は、その捏造された証拠であると語られているからだ。
おそらく捏造しなくても、Aが連続殺人犯であるということを証明することは出来たであろう。しかし、捏造が入ったせいで、その現場の証拠全てが怪しいものに思えてくるのである。これで死刑が決まり、Aは処刑されるのである。
この逆転裁判の第5話は(作者がどこまで意図したかわからないが)死刑制度の危うさを警告する内容になっていると思う。
実際には、このストーリーのような明らかな捏造捜査は無いと願いたいが、それでなくても刑事の心情で、とある証拠が不当に容疑者に不利なものになることがある。特に思い出すのは松本サリン事件の河野義行さんのことである。
河野さんは、松本サリン事件の第1通報者であるが、自宅にいくらかの薬品があったため、薬品からサリンを生成して撒いた疑いがもたれたのである。結局は、オウムがやった事件として終わるのであるが、その当時の犯人扱いするマスコミ報道は凄いものがあった。自分の中学のある先生も河野さんが犯人じゃないか、と言っていた記憶がある。しかし、結局は冤罪だった。
捜査の過程で証拠の持つ意味が、当事者の心情によって捻じ曲げられることもある。「法廷でモノを言うのは証拠品だけだ」と逆転裁判では語られるが、その解釈は刑事、検事、弁護人、裁判長といった、完璧ではない人間にゆだねられるため、絶対にこれが正しいと言い切れるものはない。
逆転裁判第5話で語られる「2年前の事件」の結末は、「人が人を裁くとはどういうことなのか?」という、深いテーマを投げかけているような気がしてならない。