私達はblogのエントリに何を求めている?

質問です。私達はblogのエントリに何を求めているんでしょうか?
blogのエントリってのは無料である。blogを書きたいと思う人間が、情報を発信したいという欲求のみで書くわけだ。それに投影する各人の思いも様々。
自分自身も、blogのエントリを書く限りにおいては、いろんな人にわかりやすく伝えたいとは思っているけど、blogのエントリを読む人から対価を貰っているわけではないので、最後の最後までお客様本意(blogのエントリを読む皆さん本意)である必要はないと思っている*1
こういう態度で書かれているblogを、なぜ自分も含め皆さんは読むのだろうか?
なぜこんなことを感じたかというと、まず梅田望夫さんのエントリ(「勉強」特権階級の没落)を読んだ。
http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20050625/p2

これは「私のチープ革命」というエントリを元にしているのでそちらも読んで欲しい。
http://d.hatena.ne.jp/mkusunok/20050626/p1

梅田望夫さんのエントリを受けてR30さんが救いのエントリを書いた
http://shinta.tea-nifty.com/nikki/2005/06/cheaprevo_4a7e.html

個人的にはR30さんの意見に賛成だ。いくらblogが普及して文章の価値が0円に近くなろうとも、対価を払うべき文章は絶対に存在すると思う。私のようなゴミ文章が世の中に増えれば増えるほど、人にわかりやすく面白い文章の価値というのは高まるのではないだろうか。そのためには対価を払うべき文章、お金を貰って文章を書く人の存在が見直される。
自分も含めてblogのエントリは無償のものである。悲しいが所詮は「ただ」なのである。本当に有用な情報を得たかったらamazon等で評判の良い本を買ったほうがよいと思う。自分が最近むさぼるように、「7つの習慣」とか「イノベーションのジレンマ」とか松下幸之助の本を読むのも、そういう考えがあってのことである。
blogのエントリは短いので考察が浅かったり抜けがあったりすることはある。これはある意味でしょうがない。だって、書いている側が誰からも対価を貰っていないんだから。それにかける労力というのもおのずと小さくなる。エントリを書く時の取材だって網羅的にきっちりしていないし、「てにをは」の間違いのチェックも甘いし*2
アフィリエイトやっている人はお金を貰っているかもしれないが、これは広告主になってくれという意味で広告代理店から対価を貰っているので、やはりblogを読んでいる皆さんから対価を貰っているわけではない(元ただせばそのお金は商品を買った人から出ているが・・・)
さて、ここでまた最初の質問。人によってこのコラムの表題の答えは違うと思うけど、私達はblogのエントリに何を求めているのでしょう?

*1:中には最後の最後まで読み手の意識に合わせる殊勝な心がけのblogもあると思いますが

*2:勘違いして欲しくないのだが、このblogはこれらの努力を放棄しているわけではない。ただ、かける労力が少ないというだけだ