この半年

1月4日から通ってきた京都にある部署へ行くのも今日が最後。奈良にあるウィークリーマンションを引き上げ、会社の職場の荷物の整理をした。このエントリは、帰りの新幹線の中で新横浜へはあと15分という状況でこれを書いている。
1月、調子が非常に悪いという状況で職場を移った。最初は職場を移って仕事をすれば、何かが変わるのでは?という淡い期待もあったが、心に引っかかる原因を根本から取り除かない状況では、職場を移った所で仕事の能率が上がるわけも無い。こんなダメダメな状況で、京都の部署の人達には多大なる迷惑をかけたことだろう。
自分が未来を悲観するという悪い状況が3月末まで続いた。自分の中での象徴的な出来事は2月頭のこと。その時も悪い状態が続いていて、ライブドアニッポン放送を買収するというニュースが流れた時は「面白そうなニュースだけど自分はこのニュースの結末は見られないんだろうなぁ」なんてバカなことを本気で考えるようになっていた。
1月から3月までの間は色々な思いが頭を駆け巡った。今までの自分の人生ではのほほんと過ごしすぎており、社会に出るだけの体力がまだついていなかったとか、大学時代の過ごし方を間違えたとか、ここまで育ててくれた親に申し訳ないとか。相当病的な状態であったことは間違いない。
そのような状況が未来永劫続くと思われた4月。ちょうどこの日記を再開する数日前、不思議な体験をした。入社する前から研究者として尊敬する先輩とサシで飲んだ。そこで、人はことばによって救われることがあるということを初めて体験した。いや、今までも小さいレベルでは何度もそういうことがあったのかもしれないが、はっきりと明確に救われたと思ったことは初めてだった。
その数日後、自分をとりまく状況は何一つ変わっていないにもかかわらず、世の中の風景というものが大きく一変したのである。確かに、目に見える画像や音声情報という意味ではまったく同じものかもしれない。しかし、それを通じた世の中の感じ方といったものが以前の元気だった時と同じようになってきた。
その後、この3ヶ月間(もっと言うと6ヶ月間)迷惑をかけた人達にはっきりと謝ろうという気になり連絡を取るようになった。自分がこの数ヶ月でかけた迷惑は到底許されるはずもないことばかりであったが、そんな自分を周りの人達は見捨てずにいてくれた。
4月の頭に回復して今日まで、色々と問題もあったものの、一生懸命仕事に取り組むことが出来た。最終的には時間的な問題もあり、当初期待されていた仕事は達成できなかった。しかし、今後の道筋という意味では、以前より大きく前進したのではと思っている。
その救ってくれた先輩は今日「不死鳥のごとくよみがえったね」ということを言ってくれた。本当にそう思う。人間、命を絶たない限り何度でもよみがえることが出来るのだ。
こんなしがない日記で懺悔した所で何が変わるわけでもなく、誰が幸せになるということもない。しかし、今後、自分が迷惑をかけた人々に対して、この体験によって一回り大きくなった自分が一生懸命償いを出来るように頑張りたい。そして、見捨てずに居てくれた人々に対して心から感謝したい。

今日のBGM
Mr.Childrenで「雨のち晴れ」と「ニシエヒガシエ」(どちらも今の心境にぴったり)