大学生のレポートコピペの話(情報系)

最近、ARTIFACT@はてな系で大学生がレポートをインターネットからコピペしているという話で盛り上がっている。
主なエントリ

問題提起のエントリ

問題提起のエントリに付けられたコメントを受けての加野瀬さんのエントリ

色々な大学教員のblogへリンクが貼ってあって参考になる

この問題そのものについては、大学生の質が低くなったと嘆く向きもあるが、個人的にはR30さんのエントリ、コピペレポート論議で思う大学教育の価値軸の方に同意である。つまり、学生や教育の質うんぬんでなく「知」に対する評価軸が変わりつつあるのだ、という意見。とあることを知っていることが偉い時代ではなくなったということですよ。

理系の学部では?

自分が大学の頃を考えると機械系のレポートで「レポートは必ず手書き」というルールがあった。どうやら、丸写ししても手書きする過程である程度吸収するから良い、という理屈だったような気がする。
でも、本当に興味ないレポートなんか、ただひたすら写経のごとく写していただけで、手が痛くなった以上の意味はなかったような気がする。たしかに手書きで写す過程で知識を吸収するかもしれない、という効果はあるのかもしれないが、本当に興味ない学生にはそれは通用しないと思う。

で、加野瀬さんはレポートコピペする大学生は何のために大学行ってるんだろうか?

このコピペ問題、理系の学部ではなく、文系の学部でよく起きるそうだ。

と言っているが、理系の学部でもコピペ問題はある。それは、プログラムの授業だ。

プログラムレポートのコピペ問題

私自身、学部1年生の最初にC++を教える授業の手伝いをしていたことがあるのだが、はっきり言ってプログラムはコピペばかり。オリジナルはおそらく5%ないのではないか、と思われるくらい同じようなプログラムだった。

一番驚愕したのがC++の文字列を出力するプログラム。

cout << "Hello World!" << endl;

と書くべきところを、

cout << ''Hello World!'' << endl;

と書いていた人がいた。コンパイラを通していないのが丸わかり。どこをどうやったらダブルコーテーションがシングルコーテーション2つになるのか。
これは一番ひどい例だけど、1から10まで教えてもらわないと出来ない人間が多すぎる。とにかく自分でやってみよう、という気概が欠けている。なんか、受験教育に問題があるような気がしなくもないけど、それはここでは触れない。

インターネットでも、プログラムの宿題を答えてくれる。2chC/C++の宿題片付けますスレッドがあり、宿題の回答を完璧な形で答えてくれる場所がある。レポートを書く生徒は、そこに貼られたプログラムの意味も考えずに、それをレポートとして提出するだけだ。あぁ、嘆かわしい。

このコピペ問題、大学内で収まる話だったら問題ないのだけど、日本の情報産業の技術水準にも少なからず影響が出ているのでは?と懸念する。というのも、周りを見ても驚くほどコードに親しんでないからだ。正確には、人の書いたコードを読みたがらない、プログラムを書きたがらない、と言った方が正しいかもしれない。
いまや、オープンソースフリーソフトウェアでかなりの完成度のものがネットで手に入るようになった。情報系の研究であってもそれは例外ではない。多くのツールを組み合わせるだけで、所望の研究の結果が得られることも多い。
でも、出てくる結果の詳細がわからず、ただあてずっぽうにツールを使って、いい結果が出たらそれでOK、提案手法の有効性が示された、って研究が多い気がする。自分の使っているツールがどうやって動いているか、わかってる?と言いたくなる。
その問題の根幹は、使っているツールのソースを読んでいないからじゃないか、と推測する。簡単なシェルスクリプトは書けても、ちょっとプログラムの規模が大きくなると拒否反応を示す人が多いんじゃないか。
この「プログラムを書かない」という流れを防ぐにはどうしたらいいんだろう。教育という場では、車輪の再発明であってもプログラムを書き上げることに意味があるとどうやって教えればよいのか。カリキュラムを変えれば済む問題なのか。
今の自分には精神論しか思いつかない。深刻な問題だと思う。

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